2009年10月10日 (土)

木曽開田高原で蕎麦刈りに挑戦!

 10月4日から2泊3日で、木曽に行って来た。

 ぬぁんと、紅顔の美少年時代(高校生)の仲間が、齢50を過ぎてから一念発起し、百姓になったらしいのだ。
それも、よりによって木曽の山奥・開田高原の耕作放棄地に入ったという。

 木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。夜明け前の序章)

 Pict0009そう、島崎藤村の「夜明け前」の舞台となったあの木曽路、その中心地である木曽福島からさらに20kmほど木曽街道を飛騨方面に登った開田高原である。

 前回、恩師・増田先生のことを書いたが、先生に指導された高校時代の同期会は今も活発で、何かあると集まってワイワイ・ガヤガヤやっているらしい。
”らしい……”というのは、地元から離れて久しいのとゴルフをやらないため、めったに参加しないからだ。

 ところが今回、万年幹事役のジロちゃんからの

「同期のW君が長野県木曽開田高原で農業に専念していることは既にご存知かと思いますが、今年は蕎麦の刈り入れを同期の希望者で行いたいと思います。(中略)涼しい木曽高原で2泊3日の農作業を楽しみ、満天の星を眺め、酒を飲む旅と考えて戴ければと思います」

とのメールには、ココロ踊ってしまい、すぐに応募した。

 Photo だがどうした。募集10名のところ、応募者4名。おまけに直前に新型インフルでK君が脱落し3名という寂しい催行となってしまった。
それでもY君の愛車ジャガーで勇躍出発。平均時速130km、朝7時に新宿を出て10時半には 開田に着いてしまった。

 高校時代には面識の無かったW君に紹介され、お茶を一服。
さてこのあと早目の昼飯を喰ってェ……などと考えていたら突然長靴を渡され、軽トラの荷台に乗せられた。
細い山道をガタゴト10分。着いたところは畑というイメージとは程遠いススキ野ヶ原。おまけに地面にはゴロタ石がアチコチに。

 「これが畑かい? 耕してねぇのかい?」という私の問いに、「ここいらは元々木曽川の河川敷で、耕作放棄地なんてみんなこんなものさ」とあっさり言うW君。
鍬に石ころ一つ当たろうものなら、手で掻き出して除去する関東ローム層の百姓とはエライ違いである。

聞くところによると10年前、20名が入植(?)したそうだが未だに残っているのはW君のほかにはタッタの1名だとか。
ウーム、さもありなんである。

Pict0019_2 鎌を渡され蕎麦を刈ることになったが、菜の花畑みたいに畑一面に蕎麦が生い茂ってる光景を想像していたのだが、ゴロタ石の間に雑草が繁りその合間に赤い茎をした蕎麦が混じっているのである。
刈るよりも先に雑草と蕎麦を仕分けなければならない。であるからして、耕耘機などでは刈り取れない。すべて手作業である。

 約一反(300坪)の畑にW君と彼の息子、そして我々3人が散らばって草刈を開始した。経験豊富なY君は鎌、幹事のジロちゃんは持参の庭木の刈り込みバサミ、私は畑で使っている収穫バサミと3人3様のスタイルで挑戦である。
収穫量はほぼ同じだったので、どれが有利かは判断できなかった。
だが途中昼食を挟み夕方までかかって干し山(?)二つ(写真参照)、面積的には畑の1/4程度しか刈り取れなかった。

 台風の接近で雨も予想されたが、翌日も持ちこたえ、なんとか畑の半分ほどは消化できた。

Pict0008 最終日は予報どおり雨。屋内で花豆の鞘取り作業を行い、開放されたのはお昼前。ご褒美に、最近開設された直売所のレストランでランチをご馳走になり帰京した。
いつも5時には起きるのだが、帰宅翌日はなかなか目が醒めない。おまけに腰が痛い。たった2日間でコレである。

 藤村の文章どおり、木曽は山の中である。増して過疎の村の移住者。この10年の苦労は押して知るべしである。だが農作業の合間に、「でも、ココでの生活が本当の人間の生活だと思うよ」とポツリもらしたW君の言葉とともに、生きるとはどういうことかを考えさせられた3日間であった。

 最後に毎晩毎食、愛情のこもったおいしい食事を作ってくださっ奥様、ありがとうございました。

Pict0021(おまけ)幹事のジロちゃんがW家のすぐ前の小川で、尺イワナを釣り上げた。
文字通り朝飯前の1時間、餌のイクラが手に入らず、畑の隅から掘り出した細ミミズでの快挙である。

 正確に言うと一尺に一寸足りない九寸イワナであるが、それだけ水清き里なんである。

ジロちゃん! 私が撮ってやった写真送ってよ! 文章だけじゃ、みんな信用しないんだからァ……。

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2009年9月10日 (木)

増田先生のこと

今年に入って新規原稿のアップが月刊ペースに落ちてしまったが、せめて毎月1日の少女誌発売日にはゼッタイ間に合わせようと心に誓っていた。が、今回はそれにさえオチてしまった!
怠惰な年寄りはどうにもなりまへんなぁ。

出版界のことをご存じない方のために少々説明すると、雑誌の発売日は毎月何日と決められた日に(週刊誌の場合は何曜日)、書店に並ぶことになっている。
同じ日に発売する雑誌が大量にあると、輸送にも、書店のスペースにも支障をきたす。そこで発売日をずらすわけである。
私の携わってきた女性誌の場合は、1日が少女誌20日前後にヤング女性28日以降をミセス誌という区分けになっていた。

また雑誌の配送は出版社ごとではなく、発売日に合わせて共同配送していた。そのため発売日に間に合わないと他社にも迷惑を掛けるので、ゼッタイ厳禁とされていた。
雑誌の製作が遅れ、その配送時間に間に合わないことを業界用語で「オチル」というのである。

ヒラの編集部員時代はどうということがないが、編集責任者(編集長)となると、それが恐怖観念となり、「オチタ」夢を見て夜中に飛び起きることがある。
幸いなことに私は「オチ」たことは無かったが、私の先輩でよくコメントをいただくTさんは時々「オト」していた。(※Tさんごめんなさい!?)

さて話はいきなり飛ぶ。
090830 今年は冷夏で、日照時間が少なく過ごしやすかったというが、それは一般の市民生活でのこと。
畑作生活では、苗の出来や作物の生育が不安定になり、おまけに昨日は暑かったのに今日は涼しいという温度変化が耕作人の機能調節をも狂わせてしまうのだ。

そんなこんなで、この夏は不調でした。とうとうお魚さんと一度も顔を合わせず(※何度か出かけたのだが、大風と地震で海に出られなかった)

……とココまで書いてきて、突然の訃報が舞い込んだ。

高校時代の恩師・増田三男先生が100歳の天寿を全うされたという。

増田三男と聞いてもほとんどの方は知らないだろうが、彫金の世界では超有名人で、人間国宝だった。業績その他は下記を参照されたい。

http://www.nihon-kogeikai.com/KOKUHO/MASUDA-MITSUO/MASUDA-MITSUO.html

http://kokuhou-club.com/kokuhou/index.html

増田先生は芸術家であると同時に、わが母校の教師であった。担当教科は当然芸術科であるが、授業の中心は彫金ではなく、木工であった。
普通校それも県下有数の進学校なのに、芸術科目に木工コースがあったのである。

入学して間もなくの1年1学期は、自分の道具箱を。2~3学期は自分の椅子を。それぞれ自分の好みやアイデアを取り入れた作品に仕上げるよう指示された。
つまり市販品にはゼッタイ無い、オリジナリティにあふれた自分だけのモノを作れというのである。
2年に進級すると課題は自由になる。製作方法や製作時間も自分で決めて製作する。そして優秀作品は秋の学園祭に展示されるのである。
歴代の優秀作品には市販品よりも高い値がつき、譲ってくれという依頼がくるほどであった。

私の課題は当初「ベビー箪笥」であった。7段の引き出しで、その上に飾り棚をのせるつもりであった。だが1学期の終わりには飾り棚が無くなり、夏休み明けには引き出しも無くなり単なる「下駄箱」へと変身して行った。

2学期に入ったある日、益田先生から呼び出しがかかった。
私の作品(?!)を前に、
”お前の組み手(※木と木を組み合わせた箇所)は寸分の狂いも無くピッチリはまっている。それに引き換え、このHの作品をみろ。隙間だらけだ。それでもコツコツと積み上げなんとか様になってる。
お前は器用だ。だがどこかで手を抜こう、手を抜こうとしている。これからの長い人生、途中で投げ出さず最後まで成し遂げる者がきっと勝つ。これだけは覚えておけ!”
とお説教されてしまった。

先生の眼力はさすがでした。
あれから40年、未だにこんな短い原稿さえ手抜きをしようとか、遅延の言い訳をグダグダ述べ続けている不肖の教え子です。
せめて残された人生、ご指摘のように生きてみようと思っております。

合掌!

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2009年8月 1日 (土)

ヒーッ! ハーッ!! フーッ!? の7月

 もう30年以上前になるが、赤痢に掛かったことがある。会社人の頃だが、一度に500人を超す集団感染であった。
 確か7月の暑い夏。悲壮感など微塵も無く、冷房完備の隔離病棟で優雅な一ヶ月を過ごした。それに引き換え、未感染だった同僚達は感染者の分まで酷使されていたとか……。

Photoだが良いことばかりではなく、それ以来毎年7月になるとなぜか胃腸系がおもわしくないのだ。今年も例にもれず下痢と便秘が交互し、それに天候異変が重なってかなりへばってしまった。そしてなぜかそんな月に野暮用や行事が重なるのである。

 まず運転免許証の更新。
 心配していた目の衰えは杞憂に終わり、あっさり合格になったのだが、2時間の講習を受けろと指示された。
いつものように退職警察官(だろうと思う)の退屈な講義とビデオを見させられた後、交付された免許証をみて、「ん?」。
免許期間が3年なのである。年齢のせいなのかなと思ったが、年齢制限は71歳以上からで、今回は該当しない。

 あわてて警察署にもどり、受付のおねぇちゃん(もちろん警察官ですよ)に問い質すと、道路交通法の改正で、軽微な違反でも重犯の場合は違反者として免許期間が短縮されるのだという。
 2度も違反した覚えが無いというと、チャチャッとコンピューターを叩いて、「4年前に静岡県警、1年前に警視庁に摘発されてます!」だと……。
ああ、そういえば今でも腹が立つ。税収不足時期(3月)に、侵入違反と一時停止違反があったなぁと思い出した。

 次が車検の更新。
 規制緩和の一環だろう。このところガソリンスタンドや修理工場、板金屋、ホームセンターなどが、競って安い車検更新を薦める。これまでディーラーまかせだったが、4~5万円も安くなるというので、いっちょやらせて見るかァと思った。
Photo_2見積で一番安かった修理工場に出したのだが、7月末期限の車検を6月中旬に預けたのが間違い。クルマは帰ってきたが車検証と自賠責保険証が来ない。7月にはいって連絡すると、申請期限を1ヶ月間違えたため、再検査が必要なのだとか……。なんだか良く分からない理由だが、再びクルマを持って行かれちまった。
クルマはギリギリの7月28日、車検証とともに帰ってきたが、一時はてっきり「パクられたぁ?」と思いましたよ。

 規制緩和で安くなるのはいいんだけど、安さを買うか、安心を買うか、実は難しい判断を迫られる場合もあるようですな。

 3番目がボランティア活動。
 以前にも報告したように、私の風貌や知性からは絶対に似合わない”ヤマユリの保存普及活動”に参加している。
090731_2ご存知の方もいると思うが、ヤマユリの開花期は7月、それもたった1週間の命なのである。
だがその美しさと濃厚な匂いはたとえ様も無い。
花笑み(はなえみ)」というのだそうだが、まるで成熟しきった美女が男を誘惑してでもいるような感じなのである。

 冬の間に区内各所に植栽したヤマユリの開花観察会と、ヤマユリの群生で名高い武蔵丘陵森林公園への研修旅行とで、会はきりきり舞い。特に会長であるサダやんは、通常でもちょっとエキセントリックなのに、輪をかけてキリキリ状態に。
キリキリとゲリゲリとのメールのやり取りのちょっとした行き違いで、二人の間に不穏な空気が流れてしまった。
詳細は省くが、そのせいで他の会員に迷惑を掛けてしまったようで……BARAひみこさん、AKITAこまちさん、申し訳ありません。

 1番目の写真(非常に珍しい、紅スジのヤマユリ)
 2番目の写真(一株から鈴なりに花が咲いた、帯化ヤマユリ)
 3番目の写真(我が家に咲いた秘蔵のヤマユリ)

(写真をクリックすると大きくなります)

    ………………………………

Untitled2 サテ最後は、7月の燦燦農場。
ココ数年来の懸案であった「トウモロコシ・パーティ」を挙行した。
例の仲間達に召集を掛けたが、Sousei氏は業務多忙のため、プリンスは日程が合わず、初参加予定のHamaちゃんはバイト先で欠員がでたため代役出勤とかで急遽欠席。
つくし野子夫さん、kusama氏、美人姉妹のお姉さま、それにわが山の神とチョッピリ寂しい陣容であったが、結果はまずまず。

豆類は全てそうだが、収穫時がもっとも糖度が高く、時間がたてば経つほど下がる。
ならば、収穫した畑でそのまま焼いて食そうというのだ。レシピ(というほどのことはないが)はふたつ。当初は3つ考えていたが、時間の関係でひとつカット。

その1) 収穫したトウモロコシを髭も皮もつけたまま炭火の上に。皮で蒸し焼きにし、程よいところで皮をむく。表面に醤油とみりんを混ぜたタレを塗り、香ばしく焼き目をつける。
これは参加者各位からもお褒めをいただき、我ながら「旨い!」と思った一品です。

その2) トウモロコシの皮をむき、表面全体に塩をすり込む。そのまま焼いて、何もつけずに塩味で食する。
こちらは、わが山の神が用意したのが食卓塩(あー、やっぱり指示しておくべきであった!)だったせいか、評価はイマイチ。でも、塩そのものに旨みがある岩塩だったら評価は変わっていたかもしれない。来年の宿題にしておこう。

とまぁ、トウモロコシの完熟度と梅雨の晴れ間をうかがいながらのパーティであったが、参加者にはまずまずご満足いただけたようである。

※付則 パーティの2日後にあのにっくきハクビシンがあらわれた模様。取り残したトウモロコシの一本が食いちぎられていた。コチラのほうもグッド・タイミングであった。

090725_2 Untitled3 人間様のヒー、ハー、フーをよそに、7月の農園はウリ科の成熟期に入った。大型の西洋カボチャ・雪化粧は3kgを超え、スイカ、マクワウリなども糖度をぐんと上げて収穫を待っている。

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2009年7月 1日 (水)

胡散臭い(うさんくさい)

胡散臭い……あやしく疑わしいこと。(新世紀ビジュアル大辞典)

以前勤めていた会社の株主総会に行って来た。
なぜか? このところ昔の部下や後輩達から色々な情報が寄せられたり、相談をもちかけられるのである。とにかく原価削減の大合唱と強烈な肩たたき、およびそこから派生する頻繁な組織変更で、とてもじゃないがまともな”商品作り”ができないというのだ。

「マ、百年に一度の大不況だそうだ。ある程度はしょうがないんじゃァないかい?」と、横丁のご隠居的答えをしていたが、送られてきた株主総会の提案内容を見て仰天。

これまでの会社は(今ハヤリの)持ち株会社になり、その下に8つの事業会社をぶら下げるというのだ。その内容がなんとも胡散臭い。
分割される事業会社は何のことはない、これまでのいくつかの事業部と経理・人事・総務・購買をバラすだけ。つまり、これまでの部長を社長(と言う名前)にして経営責任を押し付け、所属部員には独立採算という名のもとに賃下げを強制。責任を取りたくない少数の本社役員がその上に乗っかるという、まことに都合のいい変更である。

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2009年6月 3日 (水)

なんか変!?

あ~、また月刊ペースになってしまった!
最近どうも低調です。公私、心身ともに。なんか気力が充実しないんですよねぇ。
歳のせいか気候のせいかわかりませんが……。

タイトルから推察して、”ハハァいよいよ来たか、老人性憂鬱症が……”と思った人は早とちりです。
今回のご報告は畑の異変です。

「安全な食を考える会」の5月定例会で、会長からいなくなったミツバチと農薬の関係という講義が行われ、資料を読まされました。
例の中国毒入りギョーザの元凶とされた有機リン系農薬に代わって、最近増えてきているのが「ネオニコチノイド系薬剤」で、哺乳類や魚類に対する毒性が低く、殺虫効果も長続きするという夢のような農薬なんだとか。
ところがまだはっきり分かってはいないけれど、この薬、どうも神経系統を撹乱させるようなのである。

知る人ぞ知る!(モトイ、知らない人は知らない!)科学音痴の私ですから、化学的な説明を聞いてもまったく頭に残らない。したがって何故と問われても答えられない。
だが「物質不変の法則」(コレ私製用語ですから、辞書には載ってませんので……)から考えれば答えは自ずから出てくる。
この世の中に、すべて100%良のブツはない。どこかが優れていればその反作用で劣悪になる部分があるはずである。

……とまぁ、御託を並べてもしょうがない。そこでタイトルに帰る訳であるがぁ。

今年の畑には、とにかく虫が少ないのです。
TVなどでもミツバチがいなくなって、果樹栽培の農家は大変だとか報道されたので、ご記憶の方も多いはず。一説によると、その原因がネオニコチノイド系農薬にあるのではないかと言われている。

ホントに居ないんですよォ。例年なら5月に入り、野菜の花が咲き出すとどこからともなくモンシロチョウが飛来して、それはそれは賑やかなのです。それが、私が確認できただけですが、5月に入って確認したのはたったの2匹でした。

090520003おかげで、例年ならアオムシによる虫食いだらけのキャベツやブロッコリーが立派な果実(と言うんだろうか?)になっています。

お隣のSさんも、「虫が居ないから、今年はイチゴが全然実を着けない。家に持って帰る量がないから、畑で食べましょう。Tさん(ワタシのこと)も、赤い実を見つけたら三時のおやつにどうぞ!」だと。

菜園では雑草と虫害が2大難敵で、これを上手に避けられれば、ほぼ満足な野菜が収穫できるのである。
菜園仲間のOさんなど、雑草と見れば私の畑にまで遠征して引っこ抜き、アオムシなど見つければ、”おーよしよし、そこにいたのか”てな感じでプチプチ捕殺して楽しんでいるほどであった。
ところが今年の0さん。闘う相手が少なくて、どうも手持ち無沙汰のようです。

例によって話が横道にそれたが、園芸用に限らず、家庭用にもこのネオ二コチノイド系の新殺虫剤が多数出回っているそうだ。
”ケムシ4mジェット”、”アリの巣コロリ”、”コバエコナーズ”などオモシロ系ネーミングで、ソフトなイメージを演出しているが、かなり危ない成分が含有されているようなので、少なくとも直接薬剤を吸い込まないよう、ご用心を!

最後に、燦燦農場の現況報告。
①前述のように春キャベツが順調に育ち、虫食いも少なく巻きもシッカリして収穫時期を迎えています。
2種類植えたブロッコリーも順調で、5月末から収穫を始めています。特に地元半原の苗を購入して植えたグリーン・ドームは見事な大玉で、大嫌いだったブロッコリーが好きになりそう。

②昨年からの越冬野菜、キヌサヤ、スナックえんどう、実取りえんどうなど豆類は早くも最盛期を過ぎ、撤収期に入りました。
また、”最良の収穫期はたったの1週間!”といわれるソラマメは、あっという間に終焉。

090422 ③期待していたイチゴは満足に収穫できず、5~6粒づつ3回ほど食卓に載っただけでした。

④あま~い甘いアスパラは出芽数が減ってきたので、来年に期待して芽を収穫せず養生株に回しました。

タマネギが倒伏して収穫期に入ったので、すべて抜き取りました。数人の方に取りに来てもらいましたが、まだあります。欲しい方は至急ご連絡を。

⑥高級ニンニク(ホワイト六片)はもう少し、島ラッキョウも収穫は6月中旬過ぎでしょう。

⑦その他、トマト3種キュウリ2種ごちそうナスカラーピーマンカボチャ、スイカサトイモ長いもニンジン、春ダイコン、スイートコーンなどで畑全面が埋まりました。

⑧燦燦農場パート2に植えたジャガイモ4種は順調です。6月中旬には新ジャガが楽しめそう。
あっそうそう、ラッカセイもパート2に作付け変更しました。カラスやハトなど野鳥が多いので掠め取られなければいいのですが……。

※今月、写真が少なくてすみません。これも老人性欝のせい!?

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2009年5月 1日 (金)

初物七十五日

ハッと気づけば、もう5月。また月刊に逆戻りでありんす。
いつもいつも、困ったちゃんの私でゲス。Photo_5

いつもの言い訳をチョビッと言わせてもらうと、この4月は超忙しかった。
毎年4月は農作業の幕開けで苗作りに追われるのであるが、それに加えて今年はイレギュラーな活動が3つも入ってしまったのだ。
(写真は本文とまったく関係なく、我が家の枝垂れ桜です)

その①……ヤマユリ植栽講座の開催

いつもは11月~12月に5箇所の植栽地に球根を植えたら,7月の開花時期までは見回りと雑草刈りぐらいの活動しかない。
ところが今年は、我がヤマユリ軍団の活発な活動(!?)が区役所に認められ、区との協働事業に昇格した。

さらに、会長に昇格したサダやんが張り切って、ヤマユリの種植え講習会を4月に設定しちゃったのだ。さらにさらに副会長に同時昇格した私に、その講習会の総合進行&総合司会という大役を割り振っ090417たのである。

むかし会社の部長会などを取り仕切ったことはあるが、それは身内でのこと。多少脱線したり間違っても許してもらえた。
だが公募した不特定多数の一般区民を前に、出たとこ勝負のデタラメ進行ではいけません。サダやんの指示の下、かなり綿密な打ち合わせし、レジュメを作成した。

定員30名のところ100名を越す応募があり、講座もピタリ時間通りの進行で、めでたく幕を閉じたのである。
(この写真も記事とは直接関係なく、裏庭に植えたヤマユリの茎立ちです)

その②……安全な食を守る会・大豆部会の肥料作り


正真正銘、純国産の大豆を作り、手作りの味噌 (これを手前味噌という) と豆腐を作ろうという気宇壮大(?)な活動であるが、その第一歩として堆肥作りの召集が掛かった。 

作物もそうだが、その前提となる肥料から手作りしようというのである。会長の伝 (つて)で集めたチップを何層にも積み上げ、間に発酵剤として米ぬかを挟んでいくのである。つまりチップのミルフィーユですな。
仲間のOさんは手馴れたもので、エッサ・ホイサと堆肥の山を積んでいく。
それに反しコチラは、わずか2時間程度の作業にもかかわらず、日ごろの運動不足がたたって、終わったら腰が立ちません。

午後の作業を放棄して、ほうほうの態で逃げ出しました。

その③……市の広報モニター会議への参加


軽い気持ちで公募した市の広報モニター。召集通知が来て、初会合の式次第を見てビックラゲーション(この言葉、知ってるアナタはかなり古い人です)。Photo_4

委嘱状授与式なんてのがあるらしい。こりゃ大変だ、何か聞かれたら答えられないというわけにはいくまい……てな訳で、市の広報資料を付け焼刃で勉強。
タブロイド版の市政だよりぐらいしか念頭になかったのであるが、テレビやラジオなどもオン・エアしているとか。聞きましたよ、マイナー&超ローカルの番組を。
結局この付け焼刃はなんの役にも立ちませんでしたが、会議は面白かった。特に人間観察がネ。
まぁ世の中には色々な種類の人がいることを改めて実感!した2時間でした。

今後も隔月で開かれるそうなので、次回はもっと具体的にご報告しましょう。

燦燦農場の4月

ハテサテ、そんなわけで燦燦農場の報告が後回しになってしまったが、毎度のことながら自然はエライ! 人間様の思惑なんて関係なく、時が来ればちゃんと芽を出し、花を咲かせ、実を実らせるのですねェ。

まず、年を越したえんどう豆3種(キヌサヤ、スナップエンドウ、実取りエンドウ)が一斉に花をつけ、あっという間に実を結び始めた。090423

Photo_2また別の場所ではこれも越冬したイチゴが、白い花と赤い実を付けだした。
第2農場では2月に植えたジャガイモ4種(インカの目覚め、キタアカリ、トウヤ、北海コガネ)がマルチを突き破って芽を出すPhoto_3

4月も中旬を過ぎ、気温の上昇にあわせてか、
タマネギ、ニンニク、島ラッキョウなどが青々とし出し、
2年越しで養生しておいたアスパラも顔を見せた。Photo
収穫したてのアスパラがこんなに旨いとは知らなんだ。まだ木が若いので1本づつしか取れないが、この分じゃあ、もっと株を増やしてもいいなぁ、なんぞと思っている。

おかげで4月の食卓には、初物尽くしの野菜たちが並ぶようになった。090422
ある一夜、嫁に行った娘が帰ってきたので、
「初物を食べると、七十五日長生きするぞ。さあ食べな!食べな!」と勧めたが、その後がいけません。

「オレなんざ、今年に入ってもう5~6種類も初物喰ってるから、これで1年以上長生きすることになるなぁ……」といったところ

家人とふたりで異口同音、「そりゃ困る!」 だと。

※追記

4月29日現在の作柄状況。(下段、写真左から)
●トウモロコシの第一陣「ゆめのコーン85」が芽を出した。7月には食べられるようになりそうです。つくし野夫さんご安心を。
●kaiくん、Taizouくん。キミらが植えた春キャベツはもう巻き始めました。5月中には収穫できるはずです。良かったら取りに来てください。
●その他、タマネギは少し早くもう倒れ始めてます。もうすぐ収穫期です。
エダマメの第一陣(茶豆)も芽が出揃いました。

 Pict0013

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2009年4月 3日 (金)

純国産とはなんだ?

  結局、3月は月刊になってしまいました。ここしばらく鳴りを潜めていたナマケ病が再発してしまった! (誰も見てないだろうと思ったら、数人の方がご高覧くださっていたようで……) 愛読者の皆さま、申し訳ありません。Photo_3

※本文とまったく関係ありませんが、左写真は我が家の裏庭からぶら下がっている枝垂桜です。バラやかりん、タラの木、ゆず、小梅など無節操に植えたのですが、これだけが立派に育って昨年から花を楽しませてくれるようになりました。

さて、前回の続き……3月のできごとで、ひとつ書き忘れていました。燦燦農場PART2のほうで、大豆部会を組織することになった。
大豆部会とは何ぞやというと、今や風前の灯火となってしまった国産大豆を自分達で栽培し、かつ豆腐と味噌を作ろうというものである。

昨年も、大先生を中心にジモト品種・津久井大豆を栽培し、豆腐を作った。私もそのおすそ分けに預かったが、旨いのなんの! これまで60年食べてきた豆腐は何だったのか? と思うほどである。大先生いわく、水や製法も大事だがなんと言っても原料(大豆)が旨さの決め手だそうだ。

ネが卑しく、殊に喰うものには人一倍卑しいので、あの大豆を作ろうという趣旨には大賛成。後先考えずに手を挙げてしまった。
その際配られた資料には、現在日本国内で生産されている大豆は全消費量のたった4%しかないそうだ。つまり残りの96%はアメリカ、カナダ、中国その他からの輸入なのだ。(輸入量は81万トン)

だが待てよ! あのマツヤ味噌まるムギ味噌キッコー千醤油 などには、 100%国産大豆使用などという文字が躍ってなかったかしらん? 
魚沼産コシヒカリが、市場に出ると数倍の流通量に化ける…てぇのと同じ術かえ?

おっと、またまた悪たれ口になっちまったァ。
それはさておきこの大豆部会だが、アチシには名前がどうにも……。
某ご婦人提案の「愛豆会(あいずかい)」に決まったのだが、地名の”愛○”と”大豆を愛する”を引っ掛けたとか。
飲み屋の隠語で、天豆(ソラマメ)をスチュワーデスということなんぞ、知らねぇだろうなぁ。

さてさてお次は燦燦農場の近況である

出ない出ないとヤキモキしていたジャガイモの芽がついに出た。Photo天候不順のせいか2月15日に植えつけたのに、出芽確認は3月29日。一週間遅れて植えつけたNさんと同時である。
植物はちゃんと気候を読んで出てくるのね。
まったくエライもんだ。

アスパラガスも芽を出した。昨年の春に植付け、一年目は収獲せずにシッカリ養生した甲斐Untitled2があった。
4月2日現在、5本確認。
「なんだたった5本かぁ」と呟いたら、自分の畑から飛んできて一緒に確認してくれたOさんから、「1本でも、2本でも、自分で作ったヤツは格別なんだから、ありがたく喰いなよ」と怒られちまった。
まったくだ、そのとおり!

イチゴが花を付け出した。昨年11月に、大盤振る舞いで3種20株ほどを植えつけ090331た。2月までなよなよしていて、これで5月に実がなるのかいなと心配していたが、やはり植物はエライ!

手前が「ジャンボ」、真ん中が「宝交早生」、一番向こうが「四季成り」であるが、味の違いやいかに?

ただしこれは収穫祭に出さないからネ。一番旨いものは園主が食するのである。

今年のチャレンジとして、長いもを植えつけた。我が燦燦農場は元河川敷だったところにPhoto_4090402客土した畑なので、30cmも掘ると固い岩盤にぶち当たる。
そのためゴボウやヤマイモなど根の長いものは栽培できなかったのだ。

だがうまい方法を発見した。シイハラ君の本に、波トタンを斜めに埋め込み、その溝に這わせればできるという。
モノは試しで、長いもを10本を並べてみた。

同じ方法でゴボウもやってみる。この実験はなかなか興味深いので、10月の収獲まで時々ご報告しようと思う。 乞う!ご期待

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2009年3月24日 (火)

暑さ寒さも……

前回、やっと滑り込みセーフで月2回刊を守れたばかりというのに、今回も月の半ば過ぎのアタフタの発信である。

沈思熟考、完全推敲など、できる状態ではないので最近の出来事からの雑感を。

まず3月10日。「ヤマユリ植栽普及委員会」の新組織発足会議が行われた。
昨年、Sadaやんに引っ張り込まれたボランティア活動だが、事務局長Sadaやんの獅子奮090310迅の活躍が区長および区役所担当者の目に止まり、それまでの市民運動の下部組織から独立して区の協働事業に昇格したのだ。

これまで会費無し、会則無し、正式な活動実績無しの、いわば同好会的組織であったのだが年間40万円の補助金が出ることになった。それにともない会則を制定して会員名簿を整備し、年度活動計画を明確にし、会費を徴収することにした。

といっても、わずか20名程度の小さな組織。会則を作ったり、活動計画を策定したり、区役所担当者と交渉したりという煩雑な仕事をこなせるのはホンのわずか。極論すればSadaやんだけといってもいい。
この日を見越していたのだろう、Sadaやんの忠実な僕としてSadaやんの下請け仕事がドッチャリ回ってきた。

詳細は省くが、兎にも角にもこの日なんとか成立にこぎつけた。そしてあろうことかSadaやんが会長、私が副会長の要職(?)に付くことになった。
この後も、HPの作成、講習会の募集パンフ作成、友好団体へのあいさつ回りなど仕事が目白押しになりそうな予感が……。

続いて、3月15日締め切りの「オレンジ・ファーマー」へ応募した。小田原はみかん栽培が盛んな土地であるが、ここも例に漏れず耕作者の高齢化が進み、放棄みかん園が増加しているらしい。
中高年対象の「ホームファーマー制度」の人気がまずまずなので、野菜ではなくみかんの栽培も中高年者に解放しようということになった。
ただし平坦地ではなく労働もキツイし、収獲ゼロである。いきなり新規募集しても集まるまい、ということで我々既存のホームファーマーに声を掛けてきたらしい。

農園仲間に聞いてみたが、誰も応募する気は無いとのこと。それも当然である。
年会費1万円也を払った上、月一回の実地講習でみかんの若木を植え、3年間育てる。3年後に実が成り出したら、改めてどうするか考えましょう……という内容である。
農園仲間のNさんとOさんから、「アンタがやるなら手伝ってやるよ!」との援軍申し出があったので、まぁ県の農業課を助けてやろうかという義侠心(?)で応募したのであるが、ぬぁんと落選してしまったのである。

農業ブームと言われ定年おじさんが大挙アグリ関連に殺到しているようだが、こんな条件でも応募者が集まるとは……!
美人姉妹のお姉さま、残念ながらというべきか、腰を痛めずにすむことを喜ぶべきか。以上のような顛末です。

代わりに3月20日、市のほうから「広報モニター委員」への委嘱通知が来た。4月から月一回程度、市役所に集まり、市の広報活動に対していろいろ意見を述べることになる。
Souseiさんが以前やっていた「環境モニター」と同じようなものだろう。

ウーム、今年はどうやら肉体ではなく頭で勝負しろということらしいですナ。 

閑話休題

昔から「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、わが燦燦農場にもようやく寒さを乗り越えてきた野菜たちの花が咲き出した090323
090323_2090323_3090323_4どれがどれやらさっぱり分からない方も多いと思うが、紫の可憐な花がキヌサヤ、次の白い花がスナップえんどうと実取りえんどう(つまりグリーンピースですな)。
最後の網の中に納まってるのがソラマメである。

最後にもうひとつ。
話は完全に前後するが、この3月で会社が突然なくなってしまうことになったKaiくんとTaizouが、3月6日農園にやって来た。
グチを聞いてやることぐらいしかできないが……とことわり、経緯を聞いたが一言で言えば経営者不足、リーダー不足なんだなぁ。経営者は従業員をおいて、上司は部下をおいて皆逃げ出しちゃった。小さな会社の出来事だが、今の日本の構図そのまんまですよ、これは。
日本人の品格、ノブレス・オブリージェは一体全体どこへいっちまったのだ。

090315_3思ったほど落ち込んでいず、「しばらくノンビリしますよ」といってたけど、今の少しの休養は必ず次の栄養になるはず。

折角来たのだから少し手伝っていけよといって植えてもらった春キャベツ、ナヨナヨしてたけど今こんなに丈夫に育ってる。
二人の人生にも彼岸は必ずやって来るよ。

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2009年2月28日 (土)

ふー、間に合ったぁ! 2月最終発売だぁ

昔から、ニッパチといって2月と8月はモノが売れない、つまり経済活動が停滞する季節である。
現役の頃は本を作ることオンリーで、売るほうにはトンと縁がなかったし、無愛想で自分でも営業には向いてないと思っていた。

そんな私だが、最後の3年間は玩具と文具の子会社に転籍し、役員として一応経営らしきものに携わった。営業担当者から月次報告をうける際、決まって出てくるのがこのニッパチである。

020207特に2月は期末が近いせいもあり、営業不振の単なるエクスキューズじゃないかと思った。
が、確かに2月はモノが売れない。虫もそうだが、人間も寒くて外に出なくなっちゃうんだろうなぁ。
そんなわけで家にいる時間が増え、ブログを書く時間もタップリあったはずなのに、アッと思ったらもう2月末。ほぼ週刊体制からから、月2回刊に逆戻りしてしまった。(写真・裏庭に植えた梅の木が花を付けた。もうダメかと思っていたが、やっぱり自然は偉大だ!)

では、早速2月後半の報告を。

燦燦農場では3月の農繁期に向けた準備の月なのであるが、なかなか進まない。これは私の怠惰な性格というよりは、不順な天候のほうが主な原因である。雨が多かったのと、寒暖の差が激しくて、苗が育たないのである。
昨年、サカタ種苗から高価なパプリカの苗を購入して立ち腐れさせてしまったので、今年は用意万端整えて種から苗を育てようとしたが、タキイの限定品種「オレンジブロッキー」はいっかな芽を出してはくれようとしなかった。保温がうまくいかなかったのだろう。

あわててカラーピーマン2種(イエローホルンフルーピーレッド)を追加注文したが、二度と失敗しないよう播種は3月後半までおあずけにした。090215

2月の圃場はどこも閑散としているが、丘の上の燦燦農場Part2では九条ネギが大成功。テレビで見た簡単レシピ「お揚げさんと九条ネギのすき焼き」(京のおばんさい)は絶品であった。
食べたい方は、至急収獲に来てください。3月に入ったら撤収してしまうので……。その手前アサツキの軟白茎も同様です。テンプラや酢味噌あえ(ヌタ)は、酒の肴にピッタリですよ。 

そうそうPart2には、ジャガイモ4種(インカのめざめキタアカリ十勝コガネとうや)を90215定植した。2月中旬では少し早いかナと思ったが、マルチを掛ければ大丈夫とシイハラ君の本に書いてあったのでそのとおりにした。

うまくいかなかったら、責任を取ってもらうからナ! シイハラ君覚悟。

お終いにもうひとつ。
2月22日に、ジモト川崎北部地域の「里山フォーラム」があった。所属しているヤマユリ植栽運090222in動のPRも兼ねて参加したが、里山保全運動がかくも盛んであったとは正直びっくりしたし、興味のある話を沢山聞かされた。

中でもお隣、町田市の小野路の環境保全事業に取り組んでいる田極(タゴク)公一さんの話はタイヘンなものであった。
小野路といえば、わが同期の生物学博士ネンちゃんが「今でも原始林があるんだよ」といっていた土地だし、先ごろ発表された朝日新聞「残したい!日本の里山100選」にも選ばれた由緒正しき里山なのである。

町田のジモト衆たちよ! 近くにこんな素晴らしい里山があるんだよ。機会があったらぜひ訪ねてみてちょうだいネ。

ただし、田極さんからのこんな注意事項を守ってネ。
耕耘機や作業車が通る農道は、誰でも入ってかまいません。でも、畦(アゼ)はAさんBさんの所有地を分ける境界線畔(クロ)は同一所有者の田んぼを分ける境界線。畦(アゼ)も畔(クロ)も勝手に入ってはいけません……とのこと。
これが昔からの不文律なのだそうです。

ウーム、またひとつお勉強してしまった。

 

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2009年2月 5日 (木)

待望の2月! 農&漁作業の開始です

 公私とも、あまりいいニュースの聞かれなかった1月。だが2月は、私にとっては待望の月なのである。

 まず第一に、春告げ魚メバルが解禁になるのです。
一昨年はSFCの若い衆と一緒に相模湾・漆山港からイワシ・メバルに出た。
メバルにはいろいろな釣り方があるが、相模湾のこれは生きたシコイワシを泳がせてメバルを誘う。ごく浅場(水深10m)で、ヘナヘナの長竿を使うので、ゴンゴン・グキグキというメバル特有の引き味が存分に楽しめる。
もう10年以上も前に職場の先輩に連れられてやったことがあるが、向うあわせでいとも簡単に釣れるので、当時は「ふーん、こんなものか!」と、あまり興味を引かなかった。Photo

この日はあいにくの曇天&みぞれの中、久々に釣果ゼロを味わった。

最近は餌の生きイワシもなかなか手に入らず、メバルの数も少なくなったのか釣果は最高2桁の前半がせいぜいで、昔の1束(100匹)など夢のまた夢である。
それだけに春の風物詩として相模湾の釣り師には人気があるようである。

昨年は東京湾奥・金沢八景の一之瀬丸からのエビ・メバルだった。コチラは生きたモエビを餌に、胴づき3本仕掛けである。目のいい魚で、ハリスが太いと見えてしまうので、1号か0.8号という渓流釣り並みの細仕掛けでエビを躍らせながら釣る。
こちらも釣果はあまり期待できない。

今年は、東京湾口・よっちゃん船頭福よし丸からビシ・メバルに出てみた。鯵と同じビシ仕掛けで、コマセを使って釣るのである。イワシのミンチで煙幕を張って魚を呼び寄せ、吹流しにした3本仕掛けに食いつかせる。
竿も仕掛けも鯵用なので、メバル特有の引き味を楽しむというわけにはいかないが、前2者に比べ、最も効率的な釣り方である。

というわけで、写真がその釣果です。17cm~28cmのメバルが25匹、外道に同寸のカサゴが7匹、それにタナゴ2匹、白ギス1匹とマズマズのところでした。

午後からリレー釣りの鯵に変更したのですが、釣果は散々。沖上がり(終了時)に釣果を確認しに来たよっちゃん船頭から 「Tさん、本当は下手だったんですねぇ!? 」と皮肉られる始末で、同乗5人のうちのスソでした。(数はヒ・ミ・ツ)

もう一方の生業(?)燦燦農場のほうも、2月から営業開始です。090125
昨年11月に植えた、春豆4兄弟(キヌサヤ、スナップエンドウ、実取りエンドウ、ソラマメ)が酷寒によく耐え、ツルを伸ばし始めた。霜除けの笹の下で健気に耐える姿は、自然の驚異です。
この分では2月中旬にはネットをはってやらなければならないだろう。

豆は自分で作った物が最高なのです! 騙されたと思ってアータもやってみんしゃい。

イチゴも同様で、今年は3種(ジャンボ、宝交早生、四季成りプリンセス)植えてみた。葉はまだ小さいが、しっかり根付いたようで、5月には我が家の食卓を飾ってくれるはずです。

昨年開業した丘の上の第二農場では、アサツキが芽を出した。
090204Photo_2アサツキと言うと 「ああ、薬味に使うあのネギの一種ね」 としたり顔の通もいるだろうが、このアサツキ、もともとは山野草なのである。
都会人には薬味ぐらいしか考えられないが、北国では雪ノ下から顔を見せた真っ白なアサツキは絶品なのだそうだ。 

それを真似て、一度芽を出したアサツキの上に土をタップリ盛り上げ、茎を軟白させてみた。昨年もやってそのおいしさに虜になってしまったのだ。
写真左は芽を出したアサツキ。ノビルではありません。右の丸写真は掘り上げたアサツキの茎。

酢味噌で和えたヌタは酒の肴にピッタリ。エシャロットなんて目じゃない、と私は思うのだが……。

春の先駆け2月は私にとって、ココロ浮き立つ月なのです。

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