2008年3月 1日 (土)

”びっくり沖縄”のびっくり紀行

やっと、間に合った! 何が(!?)……。

辛うじて月2回刊を守れたぁ。一日違いで月刊誌になっていたはずなのだが、今日は2月29日である。つまり4年に一度の閏年のためにギリギリ月刊発行にならずにすんだのである。

”つまんない文章なんだから、もっと頻繁に軽~く書けばいいのに”という声が聞こえてきそうだが、現役の頃から、締め切り間近にならないと原稿が書けなかった。習い性とはいえ、イヤハヤである。

2月初旬、沖縄へ出かけた。30_6
閉所恐怖症かつ高所恐怖症で、”海外旅行なんてゼッタイ駄目”という家人を慣らすべく、H旅行社の格安ツアーに応募したのであるが、ツアー・タイトル『びっくり沖縄3日間』どおりのびっくり旅行であった。

まず出発の羽田空港。添乗員は現地から同行とあったが、少なくとも搭乗受付には旅行社の誰かが来ているものと錯覚した。羽田の出発ロビーに1時間30分前に着いたのであるが、待てど暮らせど旅行社の人らしい人は来ない。
1時間ほど待って、これはオカシイ。ひょっとしたら騙されたかァと思い始めた瞬間、旅行案内書を見ていた家人が「受付カウンターの係員にお申し出下さいって、書いてあるわよ。各自勝手に沖縄まで行くのじゃない!?」という。
全日空のカウンターに恐る恐る申し出るとそのとおりであり、「時間がありませんから、お急ぎください!」とのお達し。このテのツアー初心者もいるのだから、そこんところ、もっと分かりやすく書いといてくれないと困るんだよねぇ。

そういえば我々が待っている間に、「ANA○○便にご搭乗予定の××さん、出発時間が迫っております。お早くチェックインしてくださぁい」というアナウンスが何度もあった。きっと、我々のようにジッと待っている人たちがいたんだろうなぁ。

マ、ともかくこうして沖縄へ。那覇空港には、ちゃんと旗を持った人がおりました。よかったねぇ、と一安心。だが空港外に出ると、空はどんより鉛色。スカッと晴れた南国の空を期待していたのだが……。30_7
沖縄出身の家人の友人が、「天気の悪い沖縄は何の価値もない!」と言っていたそうであるが、まったくそのとおりである。

20年近く前になるだろうか。女子高校生向けの月刊誌をやっていた頃、同僚のHamaちゃんとカメラのクニエダさんと3人で、”総力取材・夏の沖縄巻頭特集”で久米島までやって来た。前田美波里だったか小川ローザだったか忘れたが、CMの真っ黒に日焼けした美女と白砂のビーチを期待してきたが、、着いたその日から雨、雨、雨……で、1週間何もしないで過ごしたことがある。
あの時は確か4月末、本土より一足早い沖縄の梅雨期だった。
今回の事前調査では、2月の沖縄は気候が比較的安定しているとあったのだが……。

走り出したバスの中で、添乗員からビックリ説明があった。
東南植物楽園や琉球村など、これから訪れるテーマパークの入園料はすべて別料金、昼食も自己負担である。参加するかどうか今すぐ決断して欲しい。30_3
さらに、1日目の宿泊予定ホテルでは夕食が食べられないので、別のレストランに案内する、と。
最後にさりげなく、”あくまでオプショナルですから、参加されなくても結構ですが”と付け加えられたが、誰かが、ホテルの周りに食事をするところがありますかと尋ねると、何も無いとのご託宣。

幸い我々は、ダイビング・オタクの息子から事前にホテル情報を入手し、ホテルグレードアッププランに申し込んであったので、この難を逃れることができたが、そりゃァないぜH旅行社さん。オリジナル・プランで最低限過ごせる条件を整えた上でのオプションでしょう。オプションに参加しなければ餓死するしかないと言うのでは、真っ当なツアーではないと思うのだが…。

30_5かくして2日目、またもや曇り空。このツアーのハイライト、美ら海水族館をが待っている。家人にこれを見せるために、このツアーに参加したといっても過言ではない。
4年前、アゴアシ付きの「1週間 健康改善 モルモット・ツアー」の中休みで訪れて大感激した。30_4
体長20メートルはあろうかというジンベエ・ザメがゆったりと泳ぐ様は、ダイビング・オタクならずとも己の小ささを実感するはずだ。その餌付けシーンを真下から見上げた家人は、”スゴイ、スゴイ”の連続であった。

その後、珊瑚礁の絶壁・万座毛へ。天気がよければさぞきれいだろうなぁと思うが、どんより空に海風ビュービューでは台無しである。
おまけに、散策路で家人がひっくり返って頭を打った。そのせいか、ここで撮ってもらった私の記念写真は、なぜか家人のドアップ顔写真に代わっていた。Untitled1
レンズが突出していないコンパクト・デジタルカメラだが、コニカ・ミノルタの名機・ディマージュXだぜ、レンズとファインダーをひっくり返して撮影するこたぁないだろうに!?

そして最終3日目。天気は雨模様の曇天。
DFSギャラリアとかいう国内唯一の免税店に案内されるが、規模も品揃えも香港の比ではなく、懐寂しき年金族にはなんとも味気ない1時間であった。
首里城に入ったところで、やっぱり雨がポツポツ。
正午前、那覇市内に戻ったところでバスから追放される。あとは勝手にせい、ということだろう。

Untitled_30バスを降りて国際通りに来ると、家人が脱兎のごとく走り出す。
娘から携帯メールで命令された、沖縄カステラ(サーターアンダーギー)と生麺タイプのソーキ蕎麦を買うのだという。それも公設市場で売っているものでなくちゃダメだといわれたとか。
沖縄カステラは林真理子ご推奨の店で、午前中で売切れてしまうらしい。案の定売り切れで、「あ~あ、アンタがもたもたしてるからぁ」と、とんだとばっちりである。

市場を出ると、ポツリポツリが驟雨に変わっていた。ウィンドウショッピングをしようにも、小さな折り畳み傘ではびしょ濡れ。仕方なくスターバックスに入って雨宿りとあいなった。30_2
1時間ほど待ったが、雨は止む気配なし。国際通りというのは、お土産屋を除いては、ジジババが時間を過ごせるところがない。仕方なくモノレールで那覇空港へ。出発が8時10分発のANA136便と言うのに、空港に4時過ぎに着いてしまった。
これから4時間どうすりゃいいんだ。

テレビを見ると、東京はじめ本土は大雪らしい。各地で欠航や遅延が続発。心配になって息子にメールを入れると、返信は、”まだ、降ってねぇよ”の一言のみ。コンニャロ、少しは親の心配しろっ!

それでも沖縄線はメインルートのせいか、ほぼ定刻に出発できた。だが悪気流のせいかダッチロールの連続で、飛行も遅れ気味。
結局、羽田に帰着したのは11時過ぎ。自宅に帰りついたのは時計が翌日になった0時半であった。

てんぷくトリオではないが、『ビ、ビ、ビックリしたなぁ、もうッ!』の一語に尽きる3日間であった。(我ながら旧いねぇ)

閑話休題。

帰着数日後、TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』で、このツアーを絶賛紹介していたが、TBSさん、局の誰かがこのツアーに実際参加してみたのでしょうか?
マスコミの端くれの一員(だった)者として言わせて貰えば、タイアップCMとはいえ、実態を知らずして紹介するってのは罪ってもんではないでしょうかねぇ。

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2006年11月11日 (土)

会津西街道を走ってきた

10月末、大好きな会津西街道を走ってきた。
今は国道121号線などと風情の無い呼び名であるが、宇都宮から今市を通り、会津若松まで続く奥州「裏」街道である。

Photo_45初めて会津西街道を走ったのはかれこれ35年ほど前、新米編集者の頃である。最初に配属された男性月刊誌が売れ行きはかばかしくないため、方針変更。それを機に転属願いを出した。直属の上司から、「お前、免許持ってるか?」と聞かれたので、何気なく「持ってます」と答えたのがウンのつき(!?)、自動車書籍編集部に転属させられた。

当時は東名高速が厚木まで開通し、これからマイカー時代に突入するという時期であった。したがってマイカー時代を見据えた企画を開発するという発想は分かるが、自動車免許を持ってるから自動車書籍編集部だという発想は今もって分からない。
そう言ったら、「なぁ~に、誰にもわからねえんだから、わからなくていい」という返事をした上司もよくわからない。

Photo_46配属されてすぐ、シマッタ! と思ったがあとの祭り。仕事は、毎日毎日、朝9時に会社からクルマを運転し、東名入り口の用賀から厚木を通って箱根神社へ行って帰ってくるだけ。
運転免許は持っていたが特別クルマが好きなわけでもない。おまけにほとんどペーパードライバー状態だった。したがって、エンスト(懐かしい言葉ですねぇ)なんぞ、しょっちゅう。

それにひきかえ、先輩諸氏は自動車専門誌の記者だったり、大学の自動車部上がりだったりと、カーきち(オッとぉ、これも古い差別用語!?)ばかり。当然、「何やってんじゃぁ、シッカリせんかい!」という叱声が飛ぶ。
Photo_43コチとらも、若い生意気盛りだったので、「うるせぇ! アメリカじゃあクルマは下駄だぁな。エンストさせるような車がダメなんだろ」てな、買い言葉を発しながら毎日を送っていた。

ついでに、何で箱根なんじゃ?と聞いたところ……
用賀までは市街地走行、用賀から厚木までは高速走行、厚木から箱根までは未舗装山岳走行、これは日本の道路事情にぴったり。ここを走れば燃費も運転性能もよく分かるから、だと。
アホかぁ…と思ったが、黙って耐えましたネ。

Photo_47  こんな編集部でしたが、良かったことがいくつかあった。
ひとつは、当時の国産乗用車のほとんどに乗れたこと。その結果、運転技量が飛躍的に上がったこと。
なんたってアータ、目いっぱいアクセルを踏んでも85kmしか出ない東洋工業(マツダ)のキャロルで東名を疾走し、シンクロ機構じゃないスバル360で箱根の山道をダブル・クラッチを踏みながら、えんやこらスラロームしたんですから……。

Photo_44もうひとつは、毎月どこかへみんなでドライブに出かけたこと。特に秘湯めぐりは楽しかった。
マイカー時代の幕開けとはいえ、まだ高嶺の花であったクルマをメーカーから無料で借りて、ひとり一台ずつ転がして旅に出たのだ。

そんな旅のひとつが会津西街道の秘湯・湯西川温泉行であった。
鬼怒川へ出かける人はいても、その奥・川治や湯西川温泉へはなかなか足を運ばない。
道も悪かった。特に湯西川温泉は、平家の落人伝説ともあいまって敬遠されていたようである。
Photo_48我々の泊った旅館(たしか清水屋旅館と言ったと思うが)は、窓は障子一枚、風呂は五右衛門風呂で、食事は囲炉裏を囲んで食べる様式であった。
今なら、maricoあたり「キャー素敵!」などと言いそうだが、風呂にタップリ1時間つかり、熱燗を流し込んで、掻い巻きと厚い掛け布団で武装しないと寒くて眠れないのだ。時期も10月下旬か11月の上旬であったと思う。

……話がまたまた長くなりそうなので端折ります。

その後女性誌部門に移り、旅記事で各地に出かけたが、会津若松取材の帰りに、ふと思いついて会津西街道をレンタカーで南下した。このときも会津ミシラズを食べた記憶があるので秋、それも晩秋だったはず。
あいにく途中から雨が降り出した。
それでなくとも悪路の道、単独ドライブの心細さの中ではあったが、というより、であったがために、そぼ降る雨に濡れた紅葉の見事さは今でも鮮明によみがえって来る。

Pict0264紅葉の時期になるたびに思い出す会津西街道。今回定年を機に家人と出かけたが、日程と紅葉時期を勘案して会津若松までの北上は断念し、鬼怒川から龍王峡、日塩もみじラインと迂回して帰ってきた。
快晴の紅葉をタップリ堪能してきたが、私にはやはりあの雨に濡れた紅葉に勝るものはないと思える。

来年はきっと会津まで北上しよう、そして願わくば雨を期待しよう。

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